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「学校保健の歴史」(2)

埼玉大学教育学部準教授 七木田文彦
(平成20年度版 学校保健の動向「ミニコラム」より)

学校三師の歴史

《学校医の誕生》

 1894(明治27)年5月に東京市麹町区,同年7月に神戸市内の小学校に学校医が置かれたのが日本における学校医の始まりである。

 1898(明治31)年には,「公立学校ニ学校医ヲ置クノ件」ならびに「学校医職務規程」が公布され,学校医制度が定められた。

《学校歯科医の誕生》

 1920(大正9)年に改正された「学生生徒身体検査規程」において,「学校医以外の医師又は他の適当なるもの」が身体検査を行えるようになった。これにより各地で歯科医師による学校歯科検査が行われるようになり,1931(昭和6)年には「学校歯科医及幼稚園歯科医令」が公布され,ここに制度上,学校歯科医が誕生した。

《学校薬剤師》

 1930(昭和5)年,東京市麹町区の委嘱により学校薬剤師が置かれた。学校薬剤師の法制化は,1954(昭和29)年の「学校教育法施行規則」一部改正によって「学校には,学校薬剤師をおくことができる」と明記され,ここに制度上,学校薬剤師が誕生した。

養護教諭の歴史

 養護教諭の歴史は,学校看護婦の歴史と接点を持っている。日本の学校において学校看護婦が誕生したのは,1905(明治38)年9月,岐阜県において学校看護婦を公費をもって雇い入れたのが始まりとされている。1922(大正11)年には大阪市で1校に1名看護婦を配置,同年,文部省は,日本赤十字社から2名の学校看護婦を派遣されたことにより,学校看護婦執務などの研究・実験を行った。

 1929(昭和4)年には,文部省訓令「学校看護婦ニ関スル件」が公布されたことにより法規上初めて学校看護婦の規程が明確にされた。そして,1941(昭和16)年に公布された国民学校令の施行に合わせて,学校看護婦は養護訓導として教育職員に位置付けられた。

 戦後,養護訓導は養護教諭となり,学校において多くの役割を担うこととなった。近年,養護教諭職務は拡大しており,1995(平成7)年には,保健主事を担当することが可能となり,1997(平成9)年の保健体育審議会答申では,「養護教諭の新たな役割」としてカウンセリング能力の充実などに大きな期待が寄せられた。そして1998(平成10)年には,保健の授業を担当する制度的措置が整備された。

掲載日時:2014/01/22