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被災地の子どもたちの現状とこれから ―医療現場からみた子どものこころ―

独立行政法人国立国際医療研究センター国府台病院
児童精神科 岩垂 喜貴

 平成23年3月11日に生じた東日本大震災は岩手、宮城、福島の東北三県を中心に多くの被害をもたらした。独立行政法人国立国際医療研究センター国府台病院 児童精神科は昭和23年に開設された長い歴史を持つ、児童精神科医療のモデル的な診療の場を目指して活動を続けている診療科である。そして当院はは震災直後より、宮城県石巻市内でこころのケア診療活動を行っており、現時点でもその活動を継続している。元来この地域には児童精神科の専門医療施設は存在せず、市内の精神科医または小児科医および宮城県子ども総合センターの出張相談がその業務を補完するような形で行われていた。本稿ではこのような児童精神科とは馴染みのない地域で行ってきた当院の支援活動とこれからの課題点について記してゆきたい。

1.支援活動の実際

2011年3月11日東日本大震災発生後、宮城県の依頼により厚生労働省が「こころのケアチーム」の派遣を決定した。独立行政法人国立国際医療研究センター国府台病院「こころのケアチーム」はその決定に基づき宮城県石巻市への派遣を行うことになった。その内容を以下の5つに分け概説する。

1).第1期「被災直後の混乱と児童精神科医としての活動を組み立てた時期」
  (2011年3月?2011年4月)

 2011年3月11日 東日本大震災発生後、宮城県の依頼により厚生労働省が「こころのケアチーム」の派遣を決定し、独立行政法人国立国際医療研究センター国府台病院「こころのケアチーム」の石巻市への派遣が決定した。避難所の多くは学校が使用されており、やむを得ず教師が避難所の運営までしなければならない状況であった。教師自身も被災者でありその疲労は非常に強かった。子どもは表面的には明るく振る舞っていたものの、強烈な外傷体験を語る子どもも少なくなかった。胃腸症状、発熱、夜尿の増加や不安症状(「夜が怖い」「一人でトイレに行けない」)など急性ストレス反応を呈する子どもが少なからずおり、保護者に対して心理教育を行った。このような活動と同時に地元の教育委員会と連絡をとり、被災地の子ども達の現状把握と今後の支援活動の土台作りを開始した。

食事・水・ガソリン・医療用具すべて自己調達

2.)第2期「学校再開に向けた活動を行った時期」
  (2011年4月?2011年5月)

 被災後数週が経過してから数ヶ月の間は外部の様々な支援者が活躍する一方で、災害発生直後から休まずに働き続けてきた被災地域の行政職員、保健師、看護師、医師や教師などの支援者の疲労やストレスはピークとなった時期である。石巻市健康推進課では市内の全戸訪問を保健師が行っており、その際に医療支援が必要とされた住宅に訪問を行った。

活動前の準備の様子

こころのケアチーム会議

a.学校再開に向けた支援活動

 児童精神科独自の活動として4月下旬の学校再開を前にした教師への啓発活動が挙げられる。石巻市内各所で急性ストレス反応およびPTSDに対しての心理教育を中心にした講演会を数回に分けて行った。教師自身が被災者で、避難所の運営にも携わっておりその疲労度は甚大であった。そのため教師自身へのエンパワーメントも最大限こころがけた。講演会の場では「なくなった子どものことを他の子ども達にどう伝えればよいか?」「自宅が流された場所を通学バスがどうしても通らなければならない場合の配慮をどうしたらよいか?」など、深刻で重大な質問が現場から数多く寄せられた。

b.学校再開後の支援活動

 学校再開後は要請された学校を訪問し、教頭や教師、養護教諭から子どもの様子を効き、必要に応じてコンサルテーションを行った。子どもを亡くした親と子どもが助かった親との間の心理的問題や、過激な外傷体験をハイテンションで話す子どもなどの問題も出始めており、具体的な対応について教育現場へ伝えた。

3.)第3期「学校再開後の問題に対しての活動を行った時期」
  (2011年6月?2011年8月)

 厚生労働省は災害救助法に基づく「こころのケアチーム」の派遣を5月で終了としたものの、独立行政法人国立国際医療研究センター国府台病院は支援活動の継続を決定した。6月以降は児童精神科医2名による活動となり、児童に特化した活動へ移行した。

 この時期は学校訪問および個別訪問が主体となり、スクールソーシャルワーカー(SSW)との連携が開始となった時期である。SSWは各学校を定期的に巡回し、懸念される個別ケースやクラスの情報を詳細に把握していた。またSSWは必要に応じて家庭訪問なども行っていた。SSWから教育委員会を通して診察の要請があった個別ケースで当事者からの同意が得られたものに関して我々が個別面談を行ったり、学校へ赴きクラス内での児童の様子を視察した。その後、関係者間でカンファレンスを行い方針を決定し、必要なケースにおいては地元の医療機関へ紹介をするなどした。このようにSSWは柔軟かつきめの細かい介入を提供するだけでなく、学校、教育委員会、医療支援者と当事者との橋渡しや情報共有を行う上でも大きな役割を果たしていた。

4.)第4期「健康調査とその後の市内全教育機関に対して訪問をおこなった時期」
  (2011年9月?2012年3月)

 被災後半年程経過すると、次々に避難所が閉鎖された。その結果として避難所で生活していた児童が仮設住宅へ移ることとなり、避難所では適応していた子ども達が、個別の生活になって不安などの症状を悪化させる例が少なからず認められた。被害の程度、元々の経済状況、心理状況、受けている支援などにより、災害をなんとか乗り越えていける子どもと家族と、そうでない子どもと家族の格差が広がっているように思われた。教育現場では学級崩壊の問題が小中学校で浮上してきた。教育機関に対して我々は実際に授業風景などを見学し、個別にも面談などを行いながら、教育機関と対応を協議していった。前述したような流れの中で我々は支援活動を行っていたが、市内の全ての子ども達の精神的な問題を見落とさずに観察してゆくことには限界があった。このような経緯から市内全域の子ども達の実態を調査し、トラウマ症状の有無とそれに関与する要因を明らかにするため石巻市教育委員会が主体となって2011年11月に市立幼稚園から高校までの実態を調査した。本研究に関しては国立国際医療研究センターの倫理員会の承認を得て行われ、結果は現場の教育機関へフィードバックした。

5).第5期 「その後の時期」(2012年4月?現在まで)

 震災後1年が経過し、ハード面での復興は大分進んでいるように思われた。しかし今まで全く震災のことを語らなかった子ども達が、被災後二年を経過し生活が安定してきて初めて自身の悲惨な体験を教師などに語り始めることもあった。

a.石巻市地域調整会議の開催

 支援活動を継続するにつれ医療機関と教育機関のみの対応では状況が膠着してしまうケースが目立つようになってきた。例を挙げると、家庭の保護能力が脆弱でネグレクトといっても差し支えないケースや保護者が精神疾患を抱えるようなケース、非行行動が重度で警察などの協力も必要なケースである。そのために 2012年4月より月1回の頻度で地域調整会議を開催することを決定し、石巻市学校教育課が主なマネージメントを行った。教育機関から学校教育課、教員、養護教諭、スクールソーシャルワーカー 行政機関から健康推進課、市民相談センター、障害福祉課、生活保護担当、児童相談所、警察、宮城県子ども総合センターの医師がそれぞれ参加した。症状が膠着したケース、機関間の連携が上手くいかないケースなどを症例検討し、今後の方針を会議の中で決定していった。

b.被災後1年6ヵ月後調査

 被災後1年6ヵ月調査を前年度の調査から一年後に行った。前年度と同様その結果を現場の教育機関へフィードバックした。同様の作業は今後も1年おきに継続予定である。


2.考察

1).現在までの支援活動を振り返って

 初期の段階では避難所へ赴いての急性ストレス反応を呈した子ども達の診察、また周囲の大人達への心理教育が主体であった。しかし時間の経過と共に不安関連の問題(不登校や分離不安)、養育問題(ネグレクトなど)、非行問題などに問題が推移していった。特にこのような問題が顕著になっていったのは避難所が閉鎖され,生活面でのインフラが安定した9月以降の時期であった。震災以前からあった保護者自身の精神状態や経済状況が震災後により一層悪化したり、保護者の死などによって家庭構造化が大きく変化した結果生じたことによる影響が少なからず考えられた。このような状況を考えると、今後も様々な機関と連携しながらの継続的な関わりが必要となってくるであろう。

2).支援体制について

 被災地での子どものこころのケアを行う際には地元の教育機関との連携は必須であるといわれている。今回も初期の段階から我々は教育委員会との連携を取り、その下部組織として活動を行ってきた。また家族への働きかけ、不登校の子どもに対して家庭訪問をしながら関係性を構築したり、時には教師の相談役となったりなど非常に柔軟できめの細かい対応をしていたのがSSWの存在であった。我々の現場での活動も常にSSWとの協業作業を主に置いていた。しかしながらSSWは1人で複数の学校を担当せねばならず、その負担が非常に大きいのも現時点での問題点であろう。SSW以外にも養護教諭や担任教師などが丁寧に子ども達をサポートしている姿が目立ったが、その疲弊は激しく、子どもだけではなく子どもを支える立場の人に対するサポート体制もより一層必要となるであろう。

3).今後の活動について

 我々支援グループが現地で実際に支援活動を行える期間が限られており、その間にもれなく子どもの状態を把握し必要なサービスを提供することは困難である。したがって地元諸機関との連携をしながら、将来的には地元の機関だけで被災地の子どものこころのフォローアップができる体制を構築していけることが望まれる。従って継続的な支援を行いつつも、どのような形で地元の機関に我々の機能を行こうしていくのかも今後の課題であろう。

掲載日時:2014/02/19